私と神経化学 ―研究は30歳代で3年間頑張りましょう―
(機関誌『神経化学』Vol.60 (No.1) 2021 掲載)
神経化学会の理事長を1回と大会長を2回務めたので、「私と神経化学」という原稿を書いてほしいと依頼があった。私は定年退職してから15年以上も研究から離れているし、記憶も曖昧になってきたし、多くの資料も破棄してしまったのでお断りした。最近、再度依頼があったので最後の原稿ということで引き受けることにした。研究生活で幾多の挫折を経験しているので、この歳になり公表しても恥でないので後輩のために書いてみたい。
大阪大学医学部を1967年に卒業して、1年間のインターンを経て、吉田博教授の研究室(薬理学教室)に弟子入りした。研究室は神経伝達物質とその受容体の研究が主体であった。最初の2年間手取り足取り実験手技を教えて頂いた先生は、当時歯学部薬理学教室の大学院生であった石田甫先生(後に徳島大学歯学部教授)でした。3年生になり、学位論文のために独立して研究を始めた。研究は「脳に特異的なcAMP-phosphodiesterase(PDE)」として初めての英文論文にまとめて、Biochim. Biophys. Acta誌に受理された1)。しかしこの論文は学位発表会で、当時神経化学大会で厳しい質問されることで有名な柿本泰男先生からクレームがついた。垣内史朗先生(阪大医教授、当時中宮病院)のPDE-calmodulin研究とテーマが似ておりオリジナリティがあるのかという質問である。予想もしていなかったので大きなショック(第一のショック)をうけた。最終審査会で合格になったので良かったが、吉田先生にご迷惑をおかけしたし、国内で研究者として生きて行くのは無理と考え留学することにした。垣内史朗先生のご紹介で、Yale大学医学部のM.W.Bitensky先生の研究室にポスドクとして行くこと決まった。しかしYale大学医学部からポスドクの給料を出すためにはグリーンカード(永住資格ビザ)を取ってほしいとの依頼があったので苦労して取得した。
米国Yale大学時代(1972-1975)
M.W.Bitensky教授(病理学)の研究室で、彼が最初に見出した光により網膜adenylate cyclase活性が抑制されるという事実を追試して成功した。彼は大変喜び、NIHで開催された研究会で発表し、論文を書いた。その後すぐに、adenylate cyclaseの抑制現象は、phosphodiesterase(PDE)活性化の反映であることが分かった。これはNIHでの発表論文の校正時に追加修正された。私にとって第二のショックであった。以降、網膜視細胞のcGMP-PDE (ROS-PDE)の光による活性化機構の研究を行った。このPDEが光とGTPにより著明に活性化されることを初めて見出し、さらにROS-PDEの活性化がロドプシンの光異性化と数フォトンで活性化されることを見出した2,3)。さらにROS-PDEの精製を進め、円板膜における局在や活性化機構について検討を加えた4)。これらの研究は、以降の視細胞におけるcGMPによる光情報処理機構の研究基礎となった。約3年間のアメリカ滞在で私は英会話が上手にならないので、アメリカで研究者を続けるのが無理だと考え帰国することにした。京都府立医科大学の薬理学教室の栗山教授の研究室に講師としての採用が決まり、1975年の9月に帰国した。
京都府立医科大学時代(1975-1978)
栗山欣弥教授(薬理学)とお会いするのは、この時が初めてであった。研究室ではGABAとアルコール中毒の研究が主体であった。私に与えられた課題はアルコール中毒の研究であった。アルコール中毒マウス肝臓を使って、肝細胞のguanylate cyclase(GC)の変化とその活性化機構の研究を行った。肝臓のGCはNaN3の存在下で活性化されるが、大脳のGCはNaN3では活性化されないが、カタラーゼの共存下でNaN3により著明に活性化されることを見いだした5)。さらに研究を進め、GCがNO(nitric oxide)により活性化されることを報告した6)。これはNOによるGCの活性化を見出した最初の報告だと思う。しかし、この2つの論文に対して、当該分野の著名な研究者から論文を取り下げるよう、またB.B.R.C.のような短い論文は信用されないなどのクレームがついた。これは第三のショックであったが、取り下げなかった。栗山先生のもとで、薬理学の半分以上の講義を担当したし、薬理学実習も担当したので非常に多忙であった。講師1年と助教授2年間務めて、金沢大学がん研究所薬理部の教授として赴任した。
金沢大学がん研究所時代(1978-1989)
金沢大学に移動した機会に、神経系のシナプス形成機構、さらに遺伝子操作を導入して網膜に特異的な蛋白質の研究を開始した。私は教授になった時点(36歳)で直接実験をしなくなった。
a) 神経突起伸展因子(NOF)及びその受容体:
主たる実験者:林要喜知(旭川医大教授)、谷浦秀夫(立命館大教授)
ニワトリ胚毛様体神経節細胞からの突起伸展を引き起こす因子(NOF; Neurite Outgrowth Factor)を砂嚢平滑筋から精製を進め、諸性質を明らかにした7)。NOF抗体を用いて筋肉を染色したところ、NOFは細胞外マトリックス物質であることが分かった8)。NOFのモノクロナル抗体を作製し、NOF量の加齢による変化を測定した。NOF量は加齢と共に増加していくが、毛様体神経節ニューロンのNOFに対する反応性は逆に加齢と共に減少した9)。この原因として、加齢によりNOF受容体が減少していくことが考えられたので、NOF受容体を検索し、82kDaの膜蛋白質を見出した10)。
b) 網膜に特異的な遺伝子の研究
主たる実験者:山形要人(東京都神経研・副参事)、郭哲輝(大阪大助教授)、渡辺義文(山口大教授)
ある組織の機能を調べる一つの方法は、その組織に特異的に発現している蛋白質の機能を調べればよいと考えた。まず網膜に特異的に発現している遺伝子をクローニングすることから始めた。 網膜cDNA―脳cDNA=網膜に特異的なcDNA、という方法で網膜に特異的なMEKA cDNAをクローニングした。分子量27000で、in situ hybridizationおよび抗体による免疫組織化学により、視細胞に特異的に発現していることが分かった11)。一方、ニワトリ胚網膜に加齢と共に出現する24kDa蛋白質を見出し12)、免疫組織化学で、網膜錐体視細胞にのみ存在していることが分かり、visininと名づけた13)。cDNAクローニング行いvisininはCa結合蛋白質であることが分かった14)。
c)培養神経芽種細胞を用いた研究:
主たる研究者:東田陽博(金沢大教授)
詳細は、東田先生の「私と神経化学-自閉症と記憶の社会神経化学の分野へ」をご覧ください。
大阪大学医学部時代(1989-2005)
吉田博教授の後任として、金沢大学から阪大医学部に移動したのは50歳近くになってからである。まず、医学部の移転が始まっていた。大阪市内から吹田市の万博公園跡地への移転である。大学院重点化構想など諸会議が多くなる、雑用も多くなる。また、阪神・淡路大震災があり、医学部も被害を受けた。
コンピュータを勉強するようになり2000年に「薬理学電子教科書」を作成しWeb上で公開した。これは2019年に久野高義神戸大教授に引継いでもらった。
a)細胞接着分子:
主たる研究者:平英一(岩手医大教授)、田中秀和(立命館大教授)
b)薬物依存:
主たる研究者:入江康至(岡山県大教授)、定方哲史(群馬大准教授)
c)ゼブラフィッシュを用いての研究:
主たる研究者:郭哲輝(大阪大助教授)、Kim Cheol-Hee(韓国忠南大教授)
薬物依存の研究は、難しくて物にならなかった。ゼブラフィッシュは組換え遺伝子の研究に使えないかとの思いで始めたが、途中で中止した。大学院生であった留学生のKim君が韓国でうまく引き継いでくれた。
神経化学会の理事長は1999年から1期務めた。学会の開催は、①第36回日本神経化学会、会長 三木直正、1993年10月、大阪。②第44回日本神経化学会(日本神経科学学会との合同大会):当初の会長は畠中寛教授であったが急逝されたので、三木が代行した。2001年9月、京都。
以上の私の経験より、研究にはアイディアと工夫が一番大切です。次に30歳代のどこかで数年間の頑張りが必要です。若い人は、失敗を恐れず、ぜひ自分の手ですばらしい研究に挑戦しましょう。40歳を過ぎてはなかなか良いアイディアは出てきません。
1) Miki N, Yoshida H. Purification and properties of cyclic AMP phosphodiesterase from rat brain. Biochim Biophys Acta. 268(1):166-174, 1972. doi: 10.1016/0005-2744(72)90210-0.
2) Miki N, Keirns JJ, Marcus FR, Freeman J, Bitensky MW. Regulation of cyclic nucleotide concentrations in photoreceptors: an ATP-dependent stimulation of cyclic nucleotide phosphodiesterase by light. Proc Natl Acad Sci U S A. 70(12):3820-3824, 1973. doi: 10.1073/pnas.70.12.3820.
3) Keirns JJ, Miki N, Bitensky MW, Keirns M. A link between rhodopsin and disc membrane cyclic nucleotide phosphodiesterase. Action spectrum and sensitivity to illumination. Biochemistry. 14(12):2760-2766, 1975. doi: 10.1021/bi00683a032.
4) Miki N, Baraban JM, Keirns JJ, Boyce JJ, Bitensky MW. Purification and properties of the light-activated cyclic nucleotide phosphodiesterase of rod outer segments. J Biol Chem. 250(16):6320-6327, 1975. doi:https://doi.org/10.1016/S0021-9258(19)41069-7.
5) Miki N, Nagano M, Kuriyama K. Catalase activates cerebral granylate cyclase in the presence of sodium azide. Biochem Biophys Res Commun. 72(3):952-959, 1976. doi: 10.1016/s0006-291x(76)80224-0.
6) Miki N, Kawabe Y, Kuriyama K. Activation of cerebral guanylate cyclase by nitric oxide. Biochem Biophys Res Commun. 75(4):851-856, 1977. doi: 10.1016/0006-291x(77)91460-7.
7) Hayashi Y, Miki N. Purification and characterization of a neurite outgrowth factor from chicken gizzard smooth muscle. J Biol Chem. 260(26):14269-14278, 1985.
8) Hayashi Y, Higashida H, Kuo C, Miki N. Antiserum against neurite outgrowth factor in chick gizzard extract and its inhibitory effect on neuritic response in cultured ciliary neurons. J Neurochem. 42(2):504-512, 1984. doi: 10.1111/j.1471-4159.1984.tb02706.x.
9) Hayashi Y, H Taniura H, N Miki N. Interaction of monoclonal antibodies with a neurite outgrowth factor from chicken gizzard extract. Dev Brain Res. 35, 11-19, 1987. doi: 10.1016/0165-3806(87)90003-4.
10) Taniura H, Hayashi Y, Miki N. An 82-kilodalton membrane protein that inhibits the activity of neurite outgrowth factor. J Neurochem. 50(5):1572-1578, 1988. doi: 10.1111/j.1471-4159.1988.tb03046.x.
11) Isolation of a novel retina-specific clone (MEKA cDNA) encoding a photoreceptor soluble protein. Kuo CH, Akiyama M, Miki N. Brain Res Mol Brain Res. 6(1):1-10, 1989. doi: 10.1016/0169-328x(89)90022-3.
12) Hatakenaka S., Kuo CH, Miki N. Analysis of a distinctive protein in chick retina during development. Dev Brain Res. 10, 155-163, 1983. doi: 10.1016/0165-3806(83)90132-3.
13) Hatakenaka S, Kiyama H, Tohyama M, Miki N. Immunohistochemical localization of chick retinal 24 kdalton protein (visinin) in various vertebrate retinae. Brain Res. 331(2):209-215, 1985. doi: 10.1016/0006-8993(85)91546-x.
14) Yamagata K, Goto K, Kuo CH, Kondo H, Miki N. Visinin: a novel calcium binding protein expressed in retinal cone cells. Neuron 4(3):469-476, 1990. doi: 10.1016/0896-6273(90)90059-o.
(2021年3月原稿受領)