31. 束状の神経組織をヒトiPS細胞を用いて構築
研究の背景
個体の知覚、運動、分泌などの諸機能は、全身に渡って張り巡らされた神経系によって制御されています。神経系が全身という広い範囲に渡る機能を統合できるのは、神経細胞が軸索と呼ばれる長い突起を持ち、軸索を介して電気信号という形で情報をやりとりできるためです。生体内では、離れた細胞集団をつなぐ多数の軸索が束状になった構造がしばしば観察されます(図1)。例えば、大脳皮質は運動制御、言語処理、視覚情報処理といった機能ごとに、異なる神経細胞群からなる領域に分かれており、このような領域間は軸索が束状になった組織によって繋がっています。また、大脳から発せられた指令を筋肉に伝える運動神経細胞は、束状の軸索を脊髄から筋肉に向かって伸ばしています。このように、軸索が束状になるのは、多数の軸索を特定の領域へ向けて伸ばすために最も効率的であるためであると考えられます。しかしながら現在、体内の束状神経組織を解析する手法は乏しく、軸索がダメージを受けて引き起こされる病気などを研究することが困難です。また、軸索束の発生過程や性質、生理学的な意義などの理解が進んでおらず、三次元状の束状組織を試験管内で構築する手法が求められています。
運動神経の束状組織の構築と応用
筆者らのグループは運動神経のような束状の神経組織を作製する手法を開発しています(参考文献1)。そのための第一歩として、ヒトiPS細胞を運動神経に分化させ、約1万個の神経からなる球状の組織を作製します。次に、独自に開発したマイクロデバイス(微小装置)内に球状組織を移して、培養します。球状組織内の運動神経は最初にそれぞれが多数の軸索を放射状に伸ばしますが、他に行き場がないためどの軸索も円形のチャンバーの壁に沿って進展し最終的には通路内へ伸びていきます。すると、当初は流路内でバラバラに伸展していた軸索が2週間程度培養を行なっていると、並走していた軸索同士が自発的に接着し、束状の組織が作製されます(図2左)。マイクロデバイスから神経の束状組織を取り出し、免疫染色やたんぱく質の解析を実施したところ、束部分は軸索のみでできていることが分かり、純度の高い軸索サンプルを取得できます(図2中央)。電子顕微鏡で表面を観察すると、同じ方向に軸索が並んで集まっている様子が明らかになりました。断面をより高解像度で観測すると、軸索が互いに接し合っていることと、軸索内部に規則正しく細胞骨格が並んでいることがわかりました。
ALSなどの運動神経変性疾患は、酸化ストレスなどによって運動神経が激しく損傷をすることで発症すると考えられています。そこで、運動神経の束状組織の損傷程度を評価するために、作製した組織が使えるかどうかを検討しました。過酸化水素水による酸化ストレスを与えたところ、作製した組織は損傷し、劣化することが分かりました。既存の画像解析プログラムを用いることでその劣化を簡便に定量化することにも成功しました(図2右)。
図2. PDMS製デバイスを用いた運動神経束作製(左)。免疫染色と電子顕微鏡による観察結果(中央)。酸化ストレスにより軸索束が劣化する様子とその解析(右)。
大脳の束状神経組織の構築とその応用
大脳の領域間をつなぐ軸索束状組織を試験管内で再現するために、運動神経と似た手法で大脳の束状神経組織を作製しています(参考文献2)。既に報告されている大脳組織(オルガノイド)の作製方法(参考文献3)を元に分化プロコトルを最適化し、分化させた大脳神経細胞塊を両側のチャンバーに入れ培養した結果、iPS細胞の分化をはじめてからおおよそ60日間で二つの大脳神経塊を軸索束でつなぐ組織が作製できました(図3)。この二つの神経塊は大脳の2つの領域を模し、それらをつなぐ軸索束は脳梁のような神経束状組織を模していると言えます。作製した二つの大脳組織内部では電気的な活動が軸索によって片側からもう一方に少し遅れて伝わることがわかりました。このことにより、二つの神経組織から伸びる軸索は構造的に二つを結合しているだけでなく、機能的にも結合していることがわかりました。最後に、軸索間の接着に関わり、脳梁欠損の関連遺伝子でもあるL1CAM遺伝子(参考文献4、5)をノックダウンし、軸索束の形成過程を観察しました。すると、軸索束の形成が阻害されることがわかり、 L1CAMが軸索束の形成に必須であることがわかりました。このことから、遺伝子をノックダウンすることで軸索束の形成が阻害される病気の病態をモデル化できることが示唆されました。
図3. 大脳神経束組織の作製と免疫染色(左)。電気生理学的な実験によって、片側(1)に刺激を与えた時に軸索束(2)を介して逆側へ電気信号が伝達されている様子(中央)。RNAiによりL1CAMの発現を抑制した結果、軸索束の形成に負の影響がある(右)。
まとめと展望
上記の研究では、iPS細胞から分化がさせた運動神経及び大脳神経の球状組織を、独自に開発したマイクロデバイスの中で培養することで、効率的に神経の軸索束状組織を作成し評価することに成功しています。今後、多数の束状組織を作製し、損傷させたり遺伝子をノックダウンさせたりすることで病気の状態を再現した上で、それを修復・予防する化合物を無数の化合物群から探索することができます。そうすることで、現在治療法がほとんど存在しないALSのような運動神経を蝕む疾患や、脳梁が形成しない脳梁欠損症のような疾患の治療薬の開発に貢献することができると期待されます。
脳は機能ごとに異なる領域に分かれており、異なる領域間をつなぐ神経回路網は高次脳機能を担う重要な基盤です。近年iPS細胞から人工的な三次元神経組織を培養すると、離れた細胞集団同士が繋ながった神経回路を自発的に形成し(参考文献6)、さらに胎児の脳波に似た周期的な神経活動も見られることが報告されています(参考文献7)。しかし現状では、このような神経回路の形成は自己組織化的な過程に頼っており、異なる種類の神経細胞集団間の高度なネットワークを狙って人工的に構築することはできません。今後、より複雑で動的な培養容器を用いて3個以上の様々な種類の神経組織を軸索束でつなぎ、意味のある演算を行う人工神経回路を作製することができれば、これまでのヒトやマウスを用いた研究とは異なるアプローチから、脳の働く仕組みを解明する一助になると考えられます。
参考文献
- Kawada J, Kaneda S, Kirihara T, Maroof A, Levi T, Eggan K, Fujii T, Ikeuchi Y. Generation of a Motor Nerve Organoid with Human Stem Cell-Derived Neurons. (2017) Stem Cell Reports, 9: 1441-1449.
- Kirihara T, Luo Z, Chow A, Misawa R, Kawada J, Shibata S, Khoyratee F, Vollette C, Voltz V, Levi T, Fujii T, Ikeuchi Y. Human induced pluripotent stem cell-derived tissue model of a cerebral tract connecting two cortical regions. (2019) iScience 14:301-311.
- Lancaster M, Knolbich J. Generation of Cerebral organoids from human pluripotent stem cells. (2014) Nature Protocols, 9(10): 2329-2340.
4.Miura M, Asou H, Kobayashi M, Uyemura K. Functional expression of a full-length cDNA coding for rat neural cell adhesion molecule L1 mediates homophilic intercellular adhesion and migration of cerebellar neurons. (1992) Journal of Biological Chemistry, 267:10752-8. - Fransen E, Lemmon V, Van Camp G, Vits L, Coucke P, Willems PJ. CRASH syndrome: clinical spectrum of corpus callosum hypoplasia, retardation, adducted thumbs, spastic paraparesis and hydrocephalus due to mutations in one single gene, L1. (1995) European Journal of Human Genetics, 3:273-84.
- Giandomenico S, Mierau S, Gibbons G, Wenger L, Masullo L, Sit T, Sutcliffe M, Boulanger J, Tripodi M, Derivery E, Paulsen O, Lakatos A, Lancaster M. Cerebral organoids at the air-liquid interface generate diverse nerve tracts with functional output. (2019) Nature Neuroscience, 22: 669-679.
- Reardon S. ‘Mini-brains’ show human-like activity. (2018) Nature News, 568: 453.
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